いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

乙武さん的な何かを体現した映画 〜『最強のふたり』批評〜

おそらくこの映画のポスターや予告編を見たときすでに、(この手の”感動系”はちょっと…)と心理的に距離を置いてしまった人もいるんじゃないだろうか。たしかに障害を乗り越えた愛と勇気の感動巨編! そういう某4チャンネルの募金番組みたいな内容が待っているとしたら、「オレたちゃ学校に道徳の授業を受けに来たんじゃない。映画館にゾンビの頭が吹っ飛ぶ映画を観にきてんだ!」という人がいてもおかしくない。


だが、もしこの映画を単なる「障害をテーマにした映画」と早とちりして観ないと決めているのだとしたら、それはすこし損をしていることになるだろう。たしかに主人公の一人フィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、事故で重度の脊損を負い首からしたは麻痺して動かないれっきとした障害者であるが、彼がその障害を乗り越えることが主題になるわけじゃない。
映画は、もう一人の主人公で貧民街出身の青年ドリス(オマール・シー)が、ひょんなきっかけで彼の介護者の採用面接に合格したところからはじまる。この映画は、「障害をテーマにした映画」ではない。それならば、障害者と介護者という境遇の中で出会った彼ら二人の「男の友情」を描いた映画だといったほうが、よっぽどしっくり来る。

ドリスは乱暴に限りなく近い明るさと、図々しさに限りなく近い気さくさで雇い主であるフィリップに接する。その接し方に、相手が障害者であるという遠慮はほとんどない。手足が使えない事は「大変だな」の一言ですますし、あやまって熱湯をかけてフィリップが反応しないことには純粋な好奇心を持つ。慣れてくると彼は、むしろフィリップの障害をネタに彼から笑いをとってしまいさえする。彼にとって、フィリップの障害は「腫れ物」ではなく、あくまでも体の特徴の一つにすぎない。
こういう話を聞くと、日本人のわれわれの中には、障害に対してツイッターでくりかえし発言をしてきた乙武さんを思い浮かべる人も少なくないんじゃないだろうか。
(例えばこういうまとめを参照↓)
Togetter - 「乙武洋匡「障害ネタは、“自虐”なのか」」 Togetter - 「乙武洋匡「障害ネタは、“自虐”なのか」」


「僕は自身の障害をただの“特徴”に過ぎないと考えている」。その思想をもし健常者側が体現するとしたら――それはまさにこのドリスのような人間なのではないだろうかと、ぼくは思う。

観ながら、この映画はそうした粗暴なドリスが人間的に成長していく話なのかなとも考えたが、それもちがう。別にフィリップはドリスに障害者との接し方を一方的に「教える」わけではない。あくまでこの映画は、年齢も趣味も階層もまったく違う文化圏で、まったくちがう境遇の二人が出会ったことで起こるきわどい笑いが持ち味の、一種のカルチャーギャップコメディといえるのだ。
この映画自体、ドリスがそうであるように障害を「腫れ物」として扱わない気概が満ちている――扱っていたらそもそも母国フランスで2011年の興収1位には輝かなかっただろう。障害者にも性的な営みがあるし、障害者だって恋愛に思い悩む。そのことを映画は特別なことを描くようにではなく、あくまで普通の事として活写する。


とはいえ、この映画が完全に「感動系映画」の域を脱しきったかというと、そうとも言い切れない。「感動系」にありがちな欠点がないわけでもないのだ。
たとえば、出てくるだれもが善人ばかりで本質的な悪人がほとんど一人もいない(出てきてもそれはほんのちょい役)というのはすこし鼻白むし、当初は完全に異分子であったはずのドリスをフィリップはともかく、彼のスタッフさえほとんど軋轢なく迎え入れている(たとえば”ダンスのシーン”は、彼らが最初にもっと戸惑いや不快感をあらわにする様子を入れればそのあとより盛り上がったのでは?)。ここに葛藤がもう少しあってもよかったんじゃないか。
また、最後にある素敵な展開もよいことはよいが、あれだけではフィリップは救えてもドリスにはなにも残らない。エンドロールの前にあるテロップが出るのだが、そこに至るまでの展望がほとんど描かれないから、よけいあのテロップが唐突に思えてしまう。さらに細かい事を言えば、時間軸を変えてまで「あのシーン」を冒頭に持ってきた意味も、実はあまりなかったりする。


このように映画として物足りないところがないわけではない。
だがそれでも約2時間楽しむことが出来たのは、この主人公「最強のふたり」の魅力、特にドリス役を演じたオマール・シーの、ほとんど天性に近いような人間的魅力の賜物といってもいいのではないだろうか。もともとコメディアンらしいから、笑いの間の取り方は心得たものがあるが、それだけでなく、この映画にはこの人の一人の人間としての魅力も満ちあふれている。たびたび白い歯でニカっと笑う笑顔もいい。

そして、なんといっても彼の実在感である。実話が元になっているというが、観ているとこのスクリーンの中のドリスこそが、まるで実在しているかのように思えてくるのだ。


この映画は現在ヒット中というが(ぼくが観た回もレイトショーなのに結構人が入っていた)、このヒットを機会に「ドリス」には来日してもらいたい。そして、乙武さんと対談してみてもらいたいものだ。きっとサイコーのブラックジョーク合戦が繰り広げられることだろうから。