いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

メリーコンドーム(テーマ『コンドーム』)

人類の科学技術がどんなに発展しても、おそらく原初のスタイルのままいつまでたっても発達しないものが、二つある。
一つは傘、もう一つがコンドームだ。
だって考えてみてほしい。
タッチパネルを使えば指先だけで何百キロも離れた人とコミュニケーションができる時代だよ?
なのに傘だ。
なのにコンドームだ。
濡れたくないから、さす。
出したくないから、つける。
きわめて単純な欲求を、きわめて単純な原理をつかって叶えているという点で、この二つは似ている。


コンドームの代わりに経口避妊薬を使うっていう方法もある。
でも副作用が強いし単価として安くないから、まだ普及するところまではいってない。
傘と同じく、当分は人類のお供となるのはコンドームになりそうだ。


ただ、さっき「単純な原理」とは書いたけど、このコンドームというのはなかなか示唆的な仕組みになっているとは思わないかい?
コンドームを使うのは、(少なくとも行為中は)愛し合う二人だ。
生まれたままの姿で抱き合って、これ以上にない近さに接近して、スリスリ悶えあう。
そして普段は隠しているお互いの大事な部分を、結合させる。
なのに、その「出会い」の究極の部分を遮るかのように、コンドームは愛する二人の前に立ちふさがる。
結局二人は「出会えない」ままなのだ。


思春期から今までにかけて保健体育を自習もふくめ猛勉強してきたボクらは、それがなぜだかわかっている。
コンドームがないと、「責任」が生まれるから。
コンドームがないと、彼氏は「パパ」になり、彼女は「ママ」になるから。
恋愛は終わりをつげ、そこに「家族」が生まれる。
コンドームで会えないからこそ恋愛は成立する。
隔たりがあるこそ長く続く恋愛。


それはまるで、駅のホームで遠距離の恋人を待ちわびるせつなさを思い起こさせる。
若い人は知らないかもしれないけど、かつてこんなおしゃれなCMがあった。



バブル特有の歌舞伎役者みたいな厚化粧はとりあえず置いといて、まだ初々しい深津絵里が出演したJR東海のCMのクリスマスバージョン。
説明過多でなく、雰囲気だけで何もかもが伝わる最高のCMだ。
ただし、最後に「会うのが、いちばん。」とテロップが入るが、これは少しまちがっている。
本当は「会えないから、いちばん。」なんだよ。
そしてこの会えないせつなさというのは、いってしまえば「コンドーム的なせつなさ」なんだな。


今日はクリスマスだ。
今年も全国各地で何万、何百万もの「会えないカップル」が続出していることだろう。

そのせつなさを紛らわすために、彼女は彼氏にこうお願いするのはどうだろう?


「私だけのサンタさん、真っ白なプレゼントはこの薄いゴム長ぐつの中に下さいな♪」って。