いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

テレビでモデルが重宝されるのはなぜか?

ここ4、5年のことだろうか、テレビのバラエティ番組で本業を「モデル」と称する女性タレントをよく見るようになっている。

モデルといえばかつてはパリコレなど、異国の地で外国人と渡り合っている「ゴージャスでカッコいい女」、というイメージがあった。テレビに出演するときも、その日本人離れした体躯とプライドの高そうな表情は、他の出演者ともどこか別格で、VIPな存在として扱われていた。今でも冨永愛などがたまに出演したときなんかは、その名残のようなものを感じる。


モデルが身近な存在になったとすれば、「読モ」の登場が大きい。もともとは一介の読者にすぎなかったのに街でたまたまスカウトされてデビューした(という設定の)彼女らは、モデルと一般女子のちょうど中間にあたる。プロの「モデル」のようにスタイルがずば抜けていいわけでもなく、食べているものや身につけているもののクオリティも自分たちのとそれほど変わらない読モたちの方が、一般女子から親近感を持たれやすい存在であることは、想像に難くない。





だが、もう一つ理由があるように思うのだ。それは、彼女たちがテレビの中で実際に話している内容のレベルにおいて。


昨日たまたま、モデルの神戸蘭子が出ているテレビ東京の「バナナマンの神アプリ@」を見ていた。
最初の方を聴きそびれたのでどうしてそういう流れになったのかはわからないが、神戸の昔つきあっていた男の話で、彼の態度に本当は既婚者なのかもしれないと不安を抱いた彼女は、一度だまって彼のケータイをのぞいてみた。するとそこには、「7」と番号の割りふられた自分の名前があったという。要するに彼女は男にとっての「7番目」だったのだ。
「ケータイの7」の話まではフィクションだったとしても、彼女が「既婚者の疑いのある男とつきあい、なおかつ遊ばれていたというエピソードを語ってもアリ」なのだという合意がなされているということだけは、まちがいない。でなければ、この部分は放送されていなかっただろう。





神戸だけではない。とりわけモデル出身の女性タレントは、「恋バナ」を語ることの敷居が低い。モデルがバラエティ番組に台頭してきた理由は、彼女らのこの「強み」にこそある。すなわちそれは、彼女らが自分の恋愛遍歴を、「恋バナ」をなんの躊躇もなく語れるという「強み」だ。


読モを含むモデルが台頭してくるまで、バラエティに出演する女性タレントといえば、アイドルや女芸人だった。最近では人気声優のアイドル化も顕著だ。彼女らにとって、「好きな男性のタイプ」や「初恋の相手」「萌えるシチュエーション」だとか、そういった脳内お花畑な話ならともかく、実体験をともなうリアルで生々しい「恋バナ」をテレビで披露することはご法度だった。


アイドルが恋バナを語るのが困難なのは、文字どおり彼女らが男にとっての「偶像」だからだ。男たちが性的な幻想を投影するのに、彼女らがプライベートで他の男と恋仲にあるという事実は、どうあがこうと邪魔にしかならない。そのため、実際に誰かと付き合っていたとしても、その付き合いの中でネタになる面白い話があったとしても、それをテレビで披露することは難しくなる。


ハロープロジェクトやAKBなどのグループにおいては、そもそも恋愛自体が禁止になっていて、違反が発覚すれば問答無用でグループからの「卒業」が待っている(蛇足ながら、「グループ内恋愛」だったとしたらどういう措置がとられるのかが気になる)。声優のブログ記事にも、クリスマス、バレンタイン、誕生日といった記念日には、男の影がないかを監視する「熱狂的ファン」(近似値にストーカーという類型がある)の熱視線が注がれている。彼らが目を血走らせながら自分の一挙手一投足をチェックしているテレビ番組において、「先週彼氏の行動が気になってぇ〜寝てる時にこっそりケータイ開いたんですぅ〜そしたらぁ〜」という「すべらない話」を開陳することは、彼女たちにとってきわめて困難なミッションになるだろう。


また、女芸人が恋バナを語りにくい理由は簡単だ。恋愛を語れるということは、語れるだけの経験があるということで、それは異性からモテるということを意味する。殊にモテることは、お笑いに関していえば邪魔にしかならない。この点について考察するとまた長くなるので別の機会にゆずるが、モテる女は「笑えない」のだ。





それに対してモデルはどうだろうか。これは彼女らの「出自」に関係する。モデルにとって所詮テレビの世界は――そしてその向こうにある男性視聴者の支持とは――「おまけ」に過ぎず、基本的には同性の支持があればすむ。彼女らはテレビの世界の住人ではない。「女子の国」からの出向者に過ぎないのだ。


だから、どれだけ男の支持を失おうと最終的には「帰国」すれば済む話だ。同性のファンたちも、モデルが恋バナをしたところで、不支持に回ったりはしない。共感できるような内容であれば、より一層支持を強めることだって考えられる。なぜなら恋愛は、みなが当たり前にしていること(になっていること)なのだから。また、当然ながら男の中にだって恋多き女に免疫のある者はいる。いや、むしろそちらの方が多数派かもしれない。


番組制作者の側から考えても、「恋バナ」というのは大多数の興味を引くことのできる魅力的な「コンテンツ」だ。プライベートでは恋愛しているはずのグラドルやバラドルがあけすけに恋バナを語ることができない分、モデルが気兼ねなく恋バナをすることができるということは、それだけで彼女らにとって大きな「強み」になる。





その一方で、こうした自由奔放なモデルの活躍が、派生的に他のジャンルの女性タレントの恋バナについての管制をも徐々にゆるめるという影響を生んでいるといえるかもしれない。特に、「男人禁制」的な臭いを漂わすスイーティーな番組――例えばフジテレビ系の「グータンヌーボ」など――では、普段ならそこまでディープな恋バナは喋らない(喋れない)はずのアイドルも、少し踏み込んだことを話していたりする。そこに誤って迷い込んでしまった男性視聴者は、どす黒い感情をしばらく抱え込むことになるのだが。



ちなみに、あけすけに恋バナのできるこうしたモデルタレントのパイオニアは、梨花だ。一時期、QBKをはじめとする男たちとの恋愛遍歴を出し惜しみせずにテレビで語り、「イタい女」というあつかいを受けていたが、その盛り上がりも一段落した後、彼女は本業のモデルという仕事にもともとあったはずの「ゴージャスでカッコいい女」のイメージへ回帰しつつある(さっきも、ディズニーモバイルのCMに出演していて、一瞬誰かわからずびっくりした)。


それは、男たちに「イタい女」と白眼視されていた最中も、梨花が実は女性票をそこまで失っていなかったということの証拠なのかもしれない。