いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

「劣化」という言葉の逃げ場のなさが嫌

いつだったろう、「劣化」という言葉を人物に対して使われているのをネットで見たとき、ちょっとした驚きがあった。
具体的には、人(圧倒的に女)が年齢を重ねることで太ったり、乳房が垂れたりして体型的に醜くなることや、肌つやがなくなり顔にしわが刻まれていくことなどを指して、人(圧倒的に男)はこういう。「×××は劣化している」、「×××は劣化してしまった」と。


ウィキペディアを覗いてみると、劣化がもともとは人物に対して使う言葉ではないのがわかる。

劣化(れっか)とは、物理的変化などにより品質や性能が損なわれたり、技術革新でより優れた製品が出現することにより、性能が相対的に低下する現象である
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A3%E5%8C%96


つまり、比喩的な意味合いで、「劣化」は使われだしたということになる。
しかしネットで検索してみると、むしろ今では人を形容する言葉としての「劣化」の方が、大勢を占め始めているという印象を抱く。


http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZAZ_jaJP394JP394&q=%e5%8a%a3%e5%8c%96


そんな劣化という言葉が、人と接合されていることで醸し出されるミスマッチは、ある意味新鮮だった。
だがそれと同時に、なんだか「嫌な気持ち」にもなった。


それは「物に対して用いる言葉のはずなのに人に対して使っているから」だろうか。
しかし物の性能を意味する「スペック」だって近頃は人に対して使われはじめているが、「劣化」はそれらと段違いにこの「嫌な感じ」を催す。
本来は物につかう言葉なのに人に使っているから、という理由だけではないのだ。


例えば、「老化」という言葉がある。
老いることはさまざまな苦悩を伴う。足腰が立たなくなって何事もおっくうになるだろうし、記憶力も落ちていく。死にゆく準備期間に入った者に付与されるのが、この老化という言葉だ。しかし、老化が絶対的に評価できない、というわけではない。ボケてきたということは、何事にも動じないということを意味するし、体力の低下に伴い、早起きもできる。赤瀬川源平の「老人力」などは、まさにそういった埋もれた価値観を取り上げようという試みだったはずだ。


それ以外にも、「太った」は「豊満」に、「老けた」は「大人びた」に変換することができる。要は物の見方だ。言葉にはそのように、対象に一見ネガティブな価値判断をしているように見えながらも、深く考えれば誤読や曲解、相対化や深読みの余地、いわばそういった「逃げ場」が用意されていて、僕らもその「逃げ場」を意識しながらそれらを使っている節がある。


けれど、劣化はどうだろう。
「劣化」と表現するときそれは、対象の劣った点のみを抽出し、劣っているということだけを端的に射抜くことになる。
「劣る」という語句に、そうした「逃げ場」は用意されていない。同窓会で「お前も老化したなーwww」は笑い話になるが「お前も劣化したなーwww」が笑い話にならないのは、まさしく「笑い話にできる余地」がそこにないからだ。劣化はそのように、それ自体ではどうしたって肯定的にはとらえることができないように構造化されている。


いちいち僕が、人の「劣化」が指摘されるときに「嫌な気持ち」になってしまうのは、こうした「劣化」という言葉の救いようのなさ、容赦のなさがもとになっているんだと思う。
それだけに、相手を傷つける武器としては、ものすごく「高性能」なのだろうけれど。