いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

“あの時代”なら「あなたが百貨店にそぐわないのです」と言い返せていたのかもしれない

今月6日まで、東京・渋谷区の西武渋谷店にある美術画廊で開催される予定だった作品展「SHIBU Culture〜デパート de サブカル〜」が1日、開催中に突然中止された。


展示作品に過激な内容のものが含まれていれば、当然ながらイデオロギー的、政治的反発を招く可能性もある。
抗議活動といえば、昨年の村上隆によるベルサイユ宮殿での作品展の際のことをいやがおうにも思い出す。


しかし報道の中での百貨店側からの発表がされてみればそれは、「複数の客」による「『展示の内容が百貨店にそぐわない』といった内容の苦情」に過ぎなかったのである。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110202/t10013813061000.html


いわばそれは、「汚いものを夕飯時に映すな」というテレビ局へのくだらない苦情電話と、まったく同じレベルのものといえる。
苦情が「複数」とありどれくらいの数が寄せられたのかはわからない。
だが、それもテレビと一緒で、数件の苦情の背景にはそれを超える何倍もの数の来客者が展覧会を面白く享受していた可能性だってある。


中止の背景には「ある公的な団体から意見」があったともささやかれている。
だがどちらにせよ、それを「複数の客」からの「苦情」と評したということは、その「苦情」によって中止を決めた「ということになってもいい」という百貨店側の意思表示であることには、変わりない。



百貨店にとって展覧会などの文化催事は所詮、販促活動の一環にすぎないのかもしれない。
本業の集客に役立ちさえいいのであれば、こうした苦情には速やかに対応する方がどう考えても得だ。
その点で、百貨店(お客様あっての商い)が美術展(何らの主義主張の発表)を開催するということはもろ刃の剣でもあるということを、今更ながら感じてしまう。


しかし、よくよく考えてみると、「展示の内容が百貨店にそぐ」うかそぐわないかは、お客の側が決めることではないだろう。
百貨店の担当者が、責任をもって作家らと交渉して展示を決めたのだから、それを外野の客が「そぐわない」と決める権利がどこにあるのだろう(と、ここまで書いてふと、とある「それを言っていいかも」なお客さんの可能性を思いついたが、仮説なので黙っておく)。



ところで、この美術画廊のルーツともいえる西武美術館の初代館長を務めた堤清二(=辻井)は、社会学者の上野千鶴子との対談本で、西武グループの文化催事の当初の目的について語っている。

上野 辻井さんは西武美術館の初代館長をつとめられましたね。開館に際してお書きになったDECLARATION(宣言)が「時代精神の運動の根據地として」となっていて、おおーっ、すごいな、と思いました。辻井さんは「美術館であって美術館でない存在、それを私達は“創造的美意識の収納庫”等々と呼んだりしているのです」と書かれています。要約しますと、この美術館は創造的な美意識の発言の場であり、絶えざる破壊的精神の表現の場である。つまり美術愛好家の手によるものではなく、時代を生きる感性の持ち主によって維持される美術館、そうした「時代精神の運動の根據地として」開館した、と宣言されたわけですね。


辻井 はい。開館企画展の「日本現代美術の展望」は、一九七〇年代の日本現代美術の作家たちに出品を要請した展覧会で、抽象芸術、立体造形、コンセプチュアル・アート、スーパー・リアリズムと多様な展開をみせていた作家たちの作品を概観するものでした。そのオープンカタログにそのように書いたことを書いたことをよく憶えています。


上野 この「宣言」の背景にあるのは、エスタブリッシュされたアートやハイカルチャーが、デッドストック化してしまった従来の美術館に対する批評意識ですね。西武美術館も西武DNAの持つベンチャー・スピリットの表れだと思いますが、そういう意図のもとに宣言をなさったのでしょうか?


辻井 そうですね。認めます。西武美術館は美術というジャンルにこだわらず、時代のアクチュアルな表現、創作活動をどんどん紹介していく場所でなければならない。選ばれた価値の定まった美術品を壁に掛けておく、そういう仕事は美術館ではない、というラディカルな発想が運営の基本にあったと認識しています。


pp.143‐146

ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)

ポスト消費社会のゆくえ (文春新書)

先に書いたとおり、百貨店にとって美術館や展覧会は販促活動のひとつである。しかし、予算が宣伝広告費全体の10分の1前後に抑えられていたという西武の文化事業の一つにすぎなかった西武美術館をめぐるこの「宣言」からは、それでも、ここから販促活動以上の“何か”を社会に引き起こそうとしている意思があったことは、容易に想像ができる。


美術館が開館した70年代当時は、大量消費大量生産の時代からようやく消費者が次のフェーズへと移行しようとしていた段階であった。
そこで新しい価値観を提示して、消費者を引っ張っていく。
「手を伸ばすと、そこに新しいぼくたちがいた。」という、やや大上段すぎるほどのコピーが示すように、それは共産党の傾倒し挫折したあとに辻井氏が仕掛けた、消費社会の側から仕掛けようとした革命といっていいのかもしれない。
エスタブリッシュされたアートやハイカルチャーが、デッドストック化してしまった従来の美術館に対する批評意識」として登場した西武美術館をはじめとする文化催事が、そうした西武グループの発想と、同じ方向を向いていたことは確実にいえるだろう。


はたしてその当時、今回と同じような展覧会が行われた際に、「善意のモラリスト」が登場して苦情を寄せたとしても、中止になっていただろうか。いやそもそも、そんな「善意のモラリスト」が登場する隙さえあったのだろうか。
「展示の内容が百貨店にそぐわない」、そんな能書きをたれていればたちまち、返す刀に「あなたがうちの百貨店にそぐわない(合わせろ)」と言い返される。それくらいの迫力がある。これはあくまで想像に過ぎないが。 



この本の後に辻井氏は、堤清二名義でマーケッターの三浦展とも同じような対談本を著している(ちなみに上野千鶴子三浦展の対談本もあり、この三冊は話のかぶる部分も多い)。

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

辻井氏(=堤氏)は西武美術館の後、今度はあの「無印良品」を仕掛けることになる。
不当なほど高価な海外のブランド商品と同じ品質のものをより安く提供するというコンセプトで始まった無印良品は当初、ブランド商品とそれを盲従して買いあさる消費者への一種の「批判」だったという。

 (…)無印良品は何を訴求したいと思っていたかと言うと、それはただ一点、消費者主権なんです。(…)ここまでは用意します、あとはあなたがご自分で好きなように使って下さい、という、そういう意味での消費者主権。(…)なるほど、製品にクレームをつけるというのも消費者主権の行使だろうけれども、それは消費者主権の一つの側面にすぎません。それだけの主権には限界がある。もちろん、「これはよくない、あれはよくない」と、クレームをつけて下さるのもけっこう。しかし、自分流にものをアレンジするというのも、これはこれで消費者主権の行使だろうと思うのです。


p.100

こうしたセゾングループの啓蒙活動によって、消費者がその「主権」を自覚的に行使し始めた結果がまわりまわって今回の苦情であったとするならば、これ以上の歴史の皮肉があるだろうか。