いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

あれを「神の手」なんて崇めてる場合じゃなかった


開催中のワールドカップで、立て続けに起きている誤審問題が議論になりはじめている。
予選リーグでも、トラップがハンドだったんじゃないか(しかも二度!)というブラジル代表ルイス・ファビアーノの「疑惑のゴール」が物議を醸していたが、その後日本時間の28日未明に行われた決勝トーナメント一回戦、ドイツ対イングランド、メキシコ対アルゼンチンの二試合においても、ファビアーノのそれを遙かに凌駕するような誤審が起きてしまったのだ。

ドイツ戦ではイングランド代表ランパードの放ったループ気味のシュートがゴールバーを叩いて入ったように思われたがノーゴールの判定となり、一方メキシコ戦ではアルゼンチン代表のメッシが蹴った浮き球を同代表テベスがヘッドで合わせゴールを割ったのだが、メッシの蹴った時点でのテベスの位置が明らかにオフサイドのポジションにあり本来ならノーゴールになるところが、「ゴール」の判定が下ったのだ。どちらとも選手は猛抗議をしたものの、判定は覆らなかった。



こういった「誤審」は当然、正しい判定を下されていたら2対2の同点に追いついていたはずのイングランドを、一点ビハインドのまま試合を続行していたはずのメキシコを、不当に不利な状況に追い込んでしまうこととなる。結果、イングランドは1対4、メキシコは1対3で敗れた。



ワールドカップやオリンピックなど、こういった大きな大会で巻き起こった誤審というのは、得てして下世話な感心をかき立てるものだ。特に、渋谷の交差点で大騒ぎになって女の子のおっぱいをひとモミかふたモミできたらいいかなくらいに思ってるような「お祭り好き」の単細胞にとっては、スキャンダラスなこういうネタは燃料投下のようなもんで、ウエルカムなのかもしれない。


だが、こちとら純粋にこのビッグマッチを楽しみにしていたサッカーフリークの少数派からすれば、次の日早起きししないといけないからわざわざ先に仮眠をとってこの試合に備えた者からすれば、こんな誤審が起きたってひとつもおもしろくないのだ。本当にがっかりである。勘弁してくれ。


ついでにいうと、マラドーナの「神の手」なんてのがあるけれど、あれも全然おもしろいと思えない。僕が、現役時代の彼の威光を同時代人として体験していないからかもしれないけれど、なんであれが未だにフットボールの「正史」のひとつのごとく語られているのかがわからない。たぶん「神の手」という言葉が生まれた当初は、その反則を犯したマラドーナと、それを見抜けずまた気づいても判定を覆せなかった審判への痛烈な皮肉も込められていたはずなんだけれど、今の人はむしろベタに「神」を慕っているようで、薄ら寒い思いすらする(NHKのドキュメンタリーで知ったが、アルゼンチンには本当に「マラドーナ教」なる宗教があって、子供の手にボールを当てる「神の手」の儀式があるんだそうだ、あはははは)。



正直な話、僕はイングランドの勝ちを臨んでいた。イングランドが一番好きというわけではなかったけれど、正確でスピーディながらも面白味のない今大会の(というかいつもどおりの?)ドイツより、チームとして本調子にはほど遠いながらも、ジェラードやランパードが円熟期で迎える最後のワールドカップをもう少し見ておきたかったわけだ。
それだけに、前半のうちに同点に追いついていれば、後半に無理に前傾姿勢をとってドイツのカウンターを無様に受けなくても済んだのに、と仮定せずにはいられない。同じく誤審の被害を被ったメキシコファンだって、そう思っていただろう。ビハインドが1点のままなら、もっとじっくり他の戦略も練りながら試合を進められたはずだ。



だが、誤審は負けたチームだけの問題ではないとも思うのだ。その誤審というケチがついたことで、勝ちすら疑われるという点では、実は勝利チームだってその「被害」を被っているわけだから。


以前、松本人志が自身のラジオ番組「放送室」で、当時開催中だったアテネ五輪男子マラソンを話題にしていた。そのマラソンでは途中、観客の中から突然「変なおっさん」が飛び出してきて一位選手に抱きつき走行妨害をするというハプニングがあったのだ。結果その選手は終盤に失速し、後続の選手に抜かされてしまった。

そのハプニングのニュースを伝える報道ステーションを見ていたという松本は、ある女子アナの発言を聞いて「この子賢いな」と思ったという(時期とスポーツニュースということから河野明子だろうか?)。その女子アナは「金メダルをとった選手もかわいそうだ」と言ったんだそうだ。


なるほど、おそらく多くの人は表だっては言わないまでも、その金メダリストについて「変なおっさんが飛び出してきたから彼は金メダルをとれたんだ」という考えが頭をよぎったはずだ。だが、一方その「変なおっさんが“飛び出して来なくても”彼は金メダルをとれた」という可能性だって、捨てきれないのだ。だが、アテネ五輪という一回きりの大舞台にて、彼がそれを証明することは、永久に不可能になってしまった。



アテネラソンの「変なおっさん」と、今回の誤審は同じではない。だが、試技中に起こってはならないはずの不確定要素が起こり、試合結果に重大な影響を及ぼした可能性がある、という点では似たようなものだ。
だから、今回の誤審でのドイツの立場にだって、これは当然言える。たとえイングランドが前半で追いついていたとしても、後半がっぷり四つに組んだとき、ドイツの優位は明白だったかもしれない。経験はあるもののその多くが選手としての山場をやや過ぎた感のあるイングランド代表に対して、今からの成長が恐ろしいほどのオジルなどの若手とクローゼらWC出場経験のあるベテランが美しく融合したドイツでは、後半に2点どころか、それ以上に破壊力を誇示し、点差が開いていたかもしれない。だが、もうそれはどうだったかは定かではない。それにほら、現にここに、「(イングランドが)前半のうちに同点に追いついていれば、後半に無理に前傾姿勢をとってドイツのカウンターを無様に受けなくても済んだ」と推測するイングランド寄りの一ファンの穿った視線があるのだから。


結果的に、正確な判定以外の全てのそれは、どのように転んだって、ピッチ上の選手の誰一人とて「プラス」には働かない。



こういうことが起きてしまった後であるからこそ、大会前にビデオ判定の導入の有無の議論がなされ結果「とりあえず、まだいいかな」という風になし崩し的に延期になったことは、本当に悔やまれる。フットボールも、テニスのチャレンジ制(例えば、試合を一時中断して、監督かキャプテンがチームを代表して判定に異議申し立てをし、ビデオ確認の結果、異議が正しければその権利は保持、判定が正しければその権利は剥奪、みたいな)のようなものを導入してもいいんじゃないだろうか。



それにしても、こういうとき許せない、といったら大げさであるが理解に苦しむことが、もうひとつある。上のYoutubeの動画を見てもらうとわかるが、もっとも近距離(およそ顔から数十センチ?)においてこの「世紀の大誤審」を目的していたのは、何を隠そうドイツ代表ゴールキーパーノイアーだが、おそらく彼は気づいていたはずなのだ。「あ、ゴール割っちゃってる!」と。にもかかわらず、まるで何も起きなかったかのようにボールをキャッチングしている。そのことだ。


スポーツでは、「記録に残らないファインプレー」というのが賞賛される場合がある。例えば野球において、内野手が予め打者の特性から打球の飛ぶ方向を読み守備位置を変えておくなど、記録上は単なる「内野ゴロ」になりその「守備位置の変更」は記録には残らないが、玄人的な賞賛を浴びうる。

それがあるならば当然、「スコア上記録に残らない卑劣なプレー」というのも痛罵されるべきなんじゃないだろうか。例えば、ファールはとられたがスローVTRで確認すればあきらかにシミュレーションをしていたという選手。そしてもちろん、明らかにゴールを割ったボールをあたかも割っていないかのように捕球し、試合を続行しようとするゴールキーパーもだ。



ドイツ代表の闘争心溢れるプレーをさして「ゲルマン魂」と呼ぶことがあるが(今や代表チームはゲルマン民族だけで構成されてはいないと思うが…)、こういったときに毅然と「あのぉ、すんません、今の入ってましたよねぇ」と自軍の不利な判定だろうと申し出ることは、はたして「ゲルマン魂」とは認められないんだろうか?