いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

女は腐女子に生まれるのではない。腐女子になるのだ。

なぜ、腐女子は男尊女卑なのか? ―オタクの恋愛とセックス事情 (アフタヌーン新書 003)

なぜ、腐女子は男尊女卑なのか? ―オタクの恋愛とセックス事情 (アフタヌーン新書 003)

この手の本を出せば、内容が比較的に腐女子に親和的であろうと、少なからぬ反発を招くというのは、本書の編集者もさすがにわかっていただろうから、タイトルがこれでGOサインが出るというのは、ある意味宣戦布告なのかもしれない。

思った通り各所方面で批判に晒されている本書であるが、内容についてはとやかく言わない。俺(今回は暫時的に一人称は「俺」)が書きたいのはこの本についてではなく、この手の本が出る度に、批判を展開する人たちの側、つまり腐女子(と自らを言明する女性)についてだ。いや、もっと言えば、オタク(と自らを言明する人々)全般についてだ。


思想家フーコーの理論に言説(ディスクール)というものがある。事実が説明より先にあるのではなく、説明によって事実が生み出されていく、という考え方だ。わかりやすい例だと、「女らしさ」、「男らしさ」というのは、人間が生まれ持ったものではなく、生まれた後に事後的に取り込んでいった「ジェンダー」(社会的性別とも呼ばれる)という構築物だ。あれも一種の言説に数えていいだろう。
言わずもがな、腐女子*1に関してもオタクに関しても、本質的な腐女子なんていないし、生得的なオタクもいない。それは言説である。
問題なのは、それについての「語り」が、当の腐女子に肯定的であろうと否定的であろうと、その言説としての「厚み」を増すことに貢献してしまう、ということだ。要は、腐女子が「こうである」という言明に反発して「そうではない、こうである」という言明を展開すればするほど、それは「腐女子とは…」の項目を強化していくことに他ならない。

だから黙して語るな、ということも言いたいが、もっと言いたいことがある。


これは腐女子だけでなく、オタク全般に対して言えることだが、それらが言説である以上あなたはオタクではない。いや、もっと突きつめて言えば、あなたがそう自らを言明しない限り、あなたはオタクではないし、腐女子でもないのだ。
以前俺がそういうことをオタク(と自ら名のる)後輩に言おうとした際、途中で遮られたあげく「先輩、オタクはなろうとしてなるものじゃないです。気づいたらなっているものなんです」なんていうどこかで聞いたような常套句を、したり顔で俺に向かって吐きやがる。
「だからそういう言明をして君が勝手にオタクになっているだけで、君がな〜にも言わず、オタクグッズを見せびらかせず、ふつ〜に過ごしていたら、誰も君をオタクだなんて言わないと思うんだけどねぇ〜〜〜〜!?」と、首しめたくなるほど腹が立ったのだが、そこを菩薩のような微笑をたたえて切り抜けた俺の寛容さをほめてくれ。
オタクや腐女子であることを、自ら背負い込むことで利益を得ているいってよいのは、その肩書きにおいてメディアで発言している一部の人たちぐらいだろう。例えば岡田斗司夫本田透。なぜそんな彼らの「オタク語り」の空間に、何ら利益を得ていない、不利益にさえ見える一般人がコミットメントする必要があるのか。ちなみに岡田はその著書で、「おたく」と「オタク」の違いを論じているが、おそらく最初の頃のおたくには、その言明自体をおもしろ半分に引き受けていたという部分あったはずだ。時代が下り、いつの間にやら「オタク」になって以降、アニメ絵でヌけるかどうかがオタクか否かの分水嶺になっていく。あたかも本質的にオタクと本質的にはそうでない人がいるかのように…。考えてみれば、オタクにしろ腐女子しろ、その言葉が生まれてから30年すら経っていないのではないだろうか。
なぜそんなものを、遺伝子のように本質的なものとして背負い込む!?
一説には、手塚治虫原作のアニメ『海のトリトン』に性的な興奮をした女性が腐女子のはしりだというが、俺が問題にしているのは、何かに性的興奮を抱いたか否かではない。何に興奮するかなど、当たり前だがその人の勝手だ。そうではなく、その性的趣向が「腐女子」という確固たる言説に仕立てあげられ、あたかも実在するかのように一人歩きし始めることこそが問題なのである


腐女子ジェンダー論で問題とされている(ように見える)のは、社会が女性に求める「女らしさ」に逸脱して、彼女らが「男同士の恋愛に耽溺している」からだろう。そもそもは問題となるのは「女らしさ」による女性の一元的な支配なのであり、必ずしもそれは「腐女子」であることだけの問題ではない。腐女子であることで嫌な思いをするならば、簡単である。「自分は腐女子である」という言明を金輪際を止めればいいのだ
俺が言いたいのは、「異性とデートすれば考え方もかわるだろう」とか「セックスをすれば考え方もかわるだろう」という楽観主義的な、いわゆる「マッチョの意見」ではない。別に異性愛体制に順応しなくてもよい。BLだって以前のように買ってもよい。ただ、自分がオタクや腐女子でない、と思うだけでいいのである。そしてオタクや腐女子に関する他人の言明を、きっぱりネグレクトすればよい。
根深い問題としてあるのは、まず間違いなくジェンダーの方である。その点について、腐女子を論じるフェミニストジェンダー論者は、ほとんどの人が無視を決め込むのは、いったいどういうことなのだろうか。ジェンダーとしての「女」が虚構ならば、「腐女子」だって立派な虚構だろう。そんなに嫌なら、腐女子なんて名のらなければよい。


どうもオタク、とりわけ腐女子セクシャルマイノリティの議論で、さも同列のように語られるきらいがあるが、俺には皆目わからない。セクシュアルマイノリティは性の問題である。それに対して、つきつめれば腐女子消費者問題なのだ。これは、広義のオタクだってそうだろう。彼らが自分をそれだと決めつけている唯一の根拠となるのは「自分の消費した物」においてである。腐女子とは『やおいやBLを愛好する女性』という消費者層の別名だ。その点、スイーツ(笑)と嘲笑されるようなコンサバティブな女性と、少なからず彼女らに敵意を抱いているであろう腐女子たちは、実は何ら変わらない。両者ともに、「消費したもので決定される属性」にすぎないのだから。
もっとも、「消費したもので私は作られる」という後期資本主義社会に位置づけられる今を生きる俺たちが、記号としての消費物からの「名付けの呪縛」から逃れることはできない。逃れることはできないが、それでもなお、その呪縛から自由であろうとする「余地」は残されているはずなのだ。それをなに、自ら積極的に背負い込んで腐女子を語り、腐女子であらざる言説を駆逐しようとするのだろう。
だから、そんなのもの最初から存在しないんだって…。


俺が批判したいのは、こういう背負い込まなくてもいい言説(レッテルといってもよい)をわざわざ背負い込み、なおかつ自虐的に語りさも自分が「虐げられる者」であるかのように振る舞うというその身振りこそが、現代的なナルシシズムの充足形態になっていることであり、そしてそのことを彼ら自身があまりにも無自覚だ、ということだ。例えばトランスジェンダーホモセクシャルであることに悩んでいる人々は、腐女子が自分たちとさも同列の悩みを持っているかのように振る舞っているのを、腹立たしくは思わないのだろうか。


最後にもう一度言う。俺は腐女子がキモイとか、そういう観点から批判しているのではない。女は腐女子に生まれるのではない。腐女子になるのだ。

長き追記(お返事をふくめて)

みなさんブクマ、ブコメ、コメント、トラバ、ありがとうございます!
この記事ではいろいろ僕自身学ぶところが多かった。まず

文章は形式にも左右される

強い球を投げたら、強い球が返ってきます。
さらに当たり前かもしれませんが、それによって

内容にも間違いが生まれる(誤読される可能性も高くなる)ということを学ばせてもらいました。


さて、このエントリーについての大前提は、

腐女子とは言説である(女は腐女子になるのだ)
ということ。

「わかってるよ!」と叩かれるぐらいだから、そのことはよいでしょうか。
ところがブコメを見ていると、このことをご理解いただけていないのでは?という方も目にします。ブクマしてくれたのはうれしいのですが、ブコメがいただけないというのは、実際に批判されてみるとわかるものです。

id:TakamoriTarouさん  熊が俺は鹿と言っても熊は熊、熊が自己認識なくても熊と発見されりゃそりゃ熊で、発見時期は関係なく生まれは熊だ。

ちゃんと読んでください。構築物についての議論で、「熊」と「鹿」という生き物や、「生まれ」というの言葉など、たとえとしてまずくはないでしょうか。上記にもありますが僕が言いたいのは、現に「BLを愛好している方」と「腐女子」という呼称は別物だ、ということです。「(いやなら)腐女子を名乗らなければ?」がいいたいわけで、「BLやめれ」となんか一言もいってません。それと関連するならば、、

id:jack_oo_lanternさん 普通に過ごすを自分基準にしないでくれ。こっちは毎日仕事いってご飯食べて妄想するのが普通の生活なんだよ・・・。


ここでいう普通というのは、僕と共有する普通ではなくて、jack_oo_lanternさんにとって「毎日仕事いってご飯食べて妄想するのが普通」ならばそれが普通ということです。オタク趣味が普通だとか普通でないとか、そういうことを暗に言いたいわけではありません。こういうときに安易に「普通」と表現した僕のミスでもありますが。それをしたいのならすればいいのだけれど、だからってオタクという自認を同時に連れて行かなくてもいいんでない?そこからは自由になれないのだろうか、というのが僕の疑問です。

だからid:Masao_hateさん、僕は「損したくなきゃ黙ってマジョリティに従え」といいたいのではないです。というかオタクと腐女子に相対するマジョリティって何なのでしょうか。このことは次に展開します。

id:Amerikan 「不利属性。遺伝子みたいなもの」→「性的趣向だ」→「消費者問題だ」→「レッテルだ。虐げられている」 この人は何がしたいんですか?

ブコメの欄が短いからこういう書き方になるのでしょうが、こういう歪曲した書き方は普通にへこみますね。論理学だったら→は「ならば」ですから、ますます僕が意味不明の狂人になってしまう。
腐女子について、ジェンダー論だ、セクシュアリティだ、消費者問題って、おまえどういうことよ?という批判が多いですが、僕は腐女子に関して言えば、どれもが絡んでいる問題だと思うのです。いや腐女子の全てがBLをセクシャルな目的に利用してはいないというid:natsu_sanさんのご指摘があり、ここも僕の文章の不味い点ではありますが、少なからずの方々は、性的なファンタジーとしてそれらを利用している、という話は伝え聞きます。
腐女子の場合は、それが「BLを愛好する」という消費主体としてのアイデンティティではありますが、その中の一部の人にとっては性的嗜好という問題も立ち上がってくるという具合でしょうか(数日前に増田で二次元でしかぬけないという彼氏について書いてた人がいたような、あとでさがす)。

id:font-daさん うへえ、カテゴリーが社会構築物であることと、カテゴリーを使ってパフォーマンスすることが、ごっちゃになっとる。

これもブコメの100字という字数制限の弊害と言いますか、font-daさんのおっしゃりたいことがいまいちつかめていませんでした。構築物としてのカテゴリーとパフォーマンスとしてのカテゴリーは、ごっちゃになっているというよりも、常に切り離せない共鳴する関係にあるというのが言説だと思うのですが。そこら辺のご意見をうかがいたいです。

id:lisagasu TB先のコメントで「俺が批判したいのは」から先は、自分の周囲だけを元にした偏見でしたと言ってる

ここで言及されている箇所は、はっきりいって僕の身の回りのみの話で、とうてい一般化できるものではありません。ただ、この部分をのぞいても僕の論旨は伝わると思います。腐女子は言説でしかない、呼称でしかない。ではなにゆえそれでもそこに留まるのか?
このことについて、コメント欄で有益な情報を提供していただいたnatsu_sanさん、ありがとうございます。


id:natsu_sanさんのご意見。

自称と他称の問題については、意識的に省かれたのでしょうか?
腐女子」という言葉は、そもそもが自称から生まれ、他称としても使われるようになったものです。それを「他称腐女子」が嫌ならば自称を捨てろ、というのは本末が転倒していませんでしょうか?

そして、自称を捨てたとして、他称はいつになったらやむのでしょう?
一人が捨てたくらいでは意味がありませんよね。全ての「自称腐女子」が捨てなければ。
そして自称を捨てた弊害は?

「「腐女子」という言葉は、そもそもが自称から生まれ」たのは僕も存じ上げます。ただそれは腐女子の後発世代に必ずしもあてはまらない、とは言えないでしょうか。「BLを愛好する」のが腐女子に直結するという根拠は、それこそ歴史的に構築されたものであり、だからこそ「BLを愛好する」ことにはまってしまう自分を隠す「隠れ腐女子」なる人が、現に存在しているのではないかと、思うのですが。


一般化は軽々しくできませんが、高校が女子校でBLの回し読みが流行っていたけれど、それを腐女子と言うのだとは知らなかった、という知人もいます。別に腐女子という呼称がなくても、BLを介したコミュニティは不可能とは言い切れないのではないでしょうか。
自分で書いておいてなんですが、重要度でものごとを図るのはたしかによくない。ただ少なくとも、女性が女というジェンダーに縛られているのと、女性が腐女子というカテゴライズに縛られているのとで、その問題からの離脱の可能度が高いのは、後者にあると僕は思うのですが(これは現状ではすぐに解決できない問題という前提においてです)。

自称を捨てる弊害についてですが、あくまで腐女子は「BLを愛好する」という消費者の層の別名であって、それは(一部の人には性的嗜好にもなっているということをのぞけば)アダージョとかシロガネーゼなどと、同列に語れるはずの呼称です。その呼称への固着からは逃れられないのだろうか、その固着があるからこそマスコミからの無粋な視線を浴びせられるのではないか、と思うのですが。そこが僕の疑問だったのですが、僕のいたらなさによって、そのことが伝わらなかったという。

猛省猛省。


この「その呼称からは固着から逃れられないのか?」という疑問に答えてくださったのは以下の方々です。
はてなを利用し始めてそこまで日は浅くないですが、僕は「idコール」なるものの使い方がいまいちよくわかっていません。僕のアドレスにネットの彼方からそれをいただきました。
まず、id:y_arimさんのご指摘。

「抑圧」について考えてみることをおすすめします。(…)黒人に対して別称であったniggerを逆に黒人が自称してアイデンティティとしていった歴史とか。

うーん、黒人の場合は身体的な特徴のため、腐女子と同列には語れるのかなぁ、、という気もしますが。。
あと、

id:crowserpentさん 言説は抑圧的でもあるけれど、逸脱者のための砦でもあるんだよ。

薄々そういうことなのかなぁとは思っていましたが、やはりそういうことなのでしょうか。雨宮処凛が本で 、かつてアイデンティティクライシスに陥って右の活動に走ったといってましたね。


今回についてはしかし、僕の過失は認めなければなりません。
自称と他称の問題は、もっと厳密に考えておくべきでした。腐女子の方々の中でも、自称することにそこまで重きを置く方々がいるのは、僕の考えには入っていませんでした。


あらためて、みなさんブクマ、ブコメ、コメント、トラバ、ありがとうございました!

*1:以降全ての腐女子にはめんどくさいからつけないが(と自らを言明する女性)と付記していると思ってほしい。