いいんちょさんのありゃあブログ

85年生まれ、おうし座。今考えてることと、好きなこと、嫌いなことについて

ゾンビーズがわかりません


子どものころに、よく母親やばあちゃんがテレビで流行の芸人のネタや一発芸を目撃した際に、「これの何が面白いのかわからない」と口にしていたのを覚えている。

そういうときに、僕は内心で「こんなのもわからないのか」などと、要するに若干小馬鹿にしていた節がある。

しかし最近、自分が始めて「わかる人」ではなく、その「わからない人」の側に立っているのに気がついた。

ゾンビーズである。このごろニコ動などで目撃する彼らなのだが、何が面白いのかさっぱりわからん。しかし、マイリスの登録数が尋常ではない。


今までだって、わからない類のお笑いはあった。でもそれらは低級であるからこそ、わからなかった。理解できるわからなさだった。たとえば、エドはるみなんてのが何が面白いのかわからないが、そのわからなさは別に自分でも気にならない。

しかし、このゾンビーズがウケてるのはヲタに対してであって、僕はわりと彼らと親和性が高い方だと思っていたが、これに関してはさっぱり理解できなかった。だってアニソンの振り付けを完コピしているだけである。なんでそれが面白いの?だってアリものじゃん?

今まで、お笑いというの世代の分水嶺だった。欽ちゃんやドリフが面白がれても、ひょうきん族のあのアドリブ主体のつくりは面白がれない人がいた。そういった違いが生じるのは、大まかに言ったら世代の差に原因があった。

でも今や「面白がれる/面白がれない」の差を生み出すものは、生まれた世代だけではないのかもしれない。たとえ、同じようなテレビを見て、同じようなノリを学んで、同じように育ってきたとしても、もう僕らは世代という連帯ではつながってはいられないのだ。

蛇にピアス」を読んだときにも同じようなことを思った。
今や同じ女性でさえも、趣味趣向が違えば生き方に共感することなんてできないのかもしれない。東大大学院の淑女とあの小説の主人公の少女が何かの機会に出会ったとして、彼女らは友達になれるだろうか。


おそらく友達にはなれないだろう。


もしかすると、その東大院生にとってはカノジョのような下流民は、同じ東大院の男よりも縁遠い「他者」なのかもしれない。