おもしろいサスペンス映画を募るまとめサイトで出会った本作『疑惑』。偶然アマゾンプライム・ビデオに入っているので観たが、当たりだった。
桃井かおりが演じる、性悪なホステス球磨子が大暴れする映画だ。
球磨子は、富山のお人好しなお金持ちの再婚相手だったが、突然夫が謎の死を遂げ、彼女に嫌疑がかけられる。球磨子は夫の死をほとんど悲しみもせず、振り込まれるはずの巨額の保険金が目当てというまさに真性のクズ女。マエ(前科)もある。
メディアは、そんな球磨子の未亡人としての「非常識」な態度への批判一色。開廷前からまるで彼女の有罪が確定したかのようだ。
名うての弁護士も弁護を断るこの困難な裁判に、颯爽と現れたのが岩下志麻演じる弁護士の律子だ。
がらっぱちな球磨子と、エリート気質が鼻に付く律子は、当然のようにぶつかりながらも、敗訴濃厚な裁判を戦っていく。
観ていると、本作の焦点は「球磨子が本当に殺したかどうか」ではないことに気づく。いや、それももちろん焦点ではあるが、この映画はそれ以上に「疑わしきは罰せず」という近代の法原理と、「疑わしきは“罰せよ”」という世論の非合理的な処罰感情の対決である。
後者を代表するのがマスメディアで、世論の球磨子に対する処罰感情をあおり、彼女の有罪を信じて疑わない。それを象徴するのが、地元紙の記者を演じる柄本明だ。彼はまるで正義の鉄槌を下すかのごとく、裏付けもすることなく最初から球磨子を犯人であるかのように記事を書き立てる。
柄本のほかに、おかしいと感じたらコロッと意見を変える素直さがかわいいジゴロ役の鹿賀丈史や、やたら偉そうだけど結局何もしなかった丹波哲朗など、出演者それぞれが輝いているのだが、やはりメインどころの桃井かおり、岩下志麻、この2人がひときわ輝いている。
法廷劇としてはありふれたストーリー展開であるが、本作の白眉はクライマックスにある。
律子の粘り強い調査と弁論により、晴れて球磨子は無罪を勝ち取る。
しかし本作が説得的なのは、桃井かおり演じる球磨子が、「正真正銘のクズだった」ということだ。
無罪が確定後、球磨子と律子はささやかながら祝杯をあげるが、そこでも球磨子の面の皮の厚さが露見し、やはり2人は反りが合わない。球磨子の人生と律子の人生が交わったのは、冤罪事件というただ一点のみだったのだ。そしてラストカットは、東京に戻る便の中でひとり不敵に笑う球磨子。
球磨子はクズで最低の人間だけれど、今回の事件については無実だった。それだけなのだ。
そのことが、本作を名作へと押し上げている。
もしも球磨子が無罪を勝ち取ったあとに律子と喜びの抱擁をしたり、仲良くなったり、あるいは感謝の気持ちを素直に伝えようものならば、観客は鼻じらむだけだろう。そしてなによりも「彼女は無罪で、やはり善人だった」という結末は、本作のメッセージに逆行する。
球磨子はやはりクズの悪女だった。そのことが、映画のメッセージ性を際立たせている。悪人であろうとなんであろうと、該当の案件について真っ当なプロセスを経て裁かれるべき――本作『疑惑』はそのことを「爽快な胸糞悪さ」とともに教えてくれる法廷劇だ。