#恋愛マニュアル の功罪
こないだヒカリエでランチしたときに話したことなんですが(こういう書き出しの恋愛ブロガーに生まれたかった)。
そこで男女の会食の際の支払いが話題になった。
1円単位で割り勘にする男ってダサいよねーとか、でもこれって結局個人の感じ方とか時と場合によるよねーとか。
「そういうの、いい加減はっきり決めておいてほしいわあ」とこぼしたぼく。
そこで友だちが言った意見に、ぼくは膝を打った。
そういうのマニュアル化しないほうが、早めに見極められるよね
いったいどういうことか。
もしあなたが恋愛マニュアル的なもので理論武装しておけば、相手と一応は交際するまでになるかもしれない。
しかし、その後関係が深まっていくと、いつかは必ずあなたの素顔が露出するものだ。
例えば、あなたは本来モットーが「1円単位での割り勘」だったとしよう。
恋愛マニュアルに学んでそのモットーを隠していても、付き合いの長くなってきたらやがては恋人にもためらいなく「1円単位での割り勘」を迫っていくだろう。
ここで言いたいのは「1円単位での割り勘」の是非ではない。
相手が「1円単位での割り勘を求めてくるやつなんて無理」という人だったら破局であるし、きっと「もっと早く言っておいてよ…」と思うはずである。
つまりそうした場合、恋愛マニュアルはただ単に来るべき破局を先延ばししていただけになる。
簡略化しているが、図式にするとこんな感じだろう。ワードで作ったたのは許してほしい。
友達に言わせれば、黒い矢印の期間が「無駄」ということになる。
一方、同じ別れでも、最初からありのままの自分でぶつかってくるような相手だったら、速攻でごめんなさいできていただろう。交際していたであろう時間を、ほかのことに費やせていたはずである。
この理論にぼくは思わず「なるほど」と思ったのであった。
恋愛マニュアルの功罪はほかにもあると思った。
恋愛マニュアルはいわば、「どんな相手から見ても及第点」を装うためのツールだ。
誰から見ても60~70点の人材を装うことはできるだろうが、それ以上となるのには、身もふたもない話だがその人の人柄になる。
一方、たとえ素顔のままではマニュアル的にはNGな人物がいたとしよう。10人中9人ぐらいは「なし」と判断するかもしれない。
しかしそれは、残りの1人に猛烈にはまり、「100点」をたたき出す素顔かもしれない。
Tinderで何度も左スワイプ(NOPE!)されようと、100人、200人が通り過ぎていけば中には「like!」、あるいはゆるぎない「Superlike!」を出す人がいるかもしれない。
「蓼食う虫も好き好き」ということわざが日本にはある。
ぼくが恋愛マニュアルで素顔を隠さないほうがいい、と思うようになったのはそういう理由である。