ディズニー・ピクサー最新作の「リメンバー・ミー」は、ラテンアメリカの「死者の日」の風習を題材にしたファンタジー映画である。
靴職人の家系に生まれた少年ミゲルには、音楽に対する並々ならぬ情熱があった。
ところが、彼の家族には音楽に触るのも奏でるのも禁じた鉄の掟があった。
そんなミゲルは、自分の先祖が伝説的なミュージシャンであったことを知る。
さらに音楽への情熱が募ったミゲル。家族の目を盗み、死者の日のステージに立とうとするが、ひょんなきっかけで彼は死者の国に入ってしまう…。
ディズニーやピクサーということで当然フルCGなのだが、彼らの映画には毎回そのテクスチャーに驚かされる。
「ラプンツェル」における髪の描写、「アナ雪」における氷やパウダースノーの描写は、物語と別の次元で「なんてリアルなんだ」と息を飲む。
今作は特に「ばばあの顔」に注目してもらいたい。
それはいいとして。今回はストーリー、というよりその「設定」が衝撃的だ。個人的には怖さすら感じた。
ミゲルが迷い込んだ死者の世界は、1年に一度死者の日にだけは生者の世界に帰られる。
ところが、それができるのは「現世の人間に遺影を飾ってもらえている人」のみだ。
死者の国の関所のようなところで、遺影が飾ってもらえてないとわかると門前払いされてしまう。
現世でのお供え物は死者の財産になる。死者の国も格差社会なのだ。
おそらくジョン・レノンなどは未来永劫、向こうで裕福な暮らしができるのだろう。
それだけではない。遺影はおろか、誰からも現世で思い出してもらえなくなったとき、完全に忘れ去られたとき、その死者は「最後の死」を遂げる。
死者の国で死ぬと、死者は完全に消え失せてしまうのだ。
それ、めちゃくちゃ怖くね?
この設定=死生観が楽しめるのは、親兄弟、友人知人に恵まれているか、あるいは、現世で人気者だった人のみである。
だから家族を大切にしろ、という話になるのだけれど、「手遅れ」の人間はどうすればいいのだろう。
身寄りのない人は?
孤独死確定で最近はどんな孤独死キメるか考えるのが一周回って楽しくなってきたおっさんも、この映画を観たらクソを漏らして気絶するだろう。
それぐらい、おそろしいメッセージが込められている。
隣で見ていた外国人女性は終始ゲラゲラ笑ってうるさかったが、彼女にはフルハウスのような仲良し家族がいるのではないだろうか?だからあんなに楽しめるのだろう。
それでも、途中までは「言うて、ディズニー・ピクサーやぞ。どこかに救いが用意されてるだろ」と高をくくっていた。
例えば、家族や友達に恵まれなくても、素敵な作品や素敵なことをして現世で残る、という「救い」が考えられただろう。
しかし、本作にはそういうのは特にないから困る。
もちろん、天下のディズニー・ピクサー映画である。
ストーリーレベルではいつもどおりの穴の少ないものとなっているが、この設定だけがただただ残酷すぎてクラクラしてきた。
こんな恐ろしいピクサー映画は初めてだ。